お手紙……………_____
お世話になっております、ちくたくです。
リアタイして以降なんだか怖くて見れていなかったゆごほくお手紙を北斗くんのお誕生日だしな~と見返したところ、懸念していたとおりエモがキャパを超え野を越え山を越え情緒が一向に帰ってきません。
ということで5ヶ月越しの「あなたにお手紙書きましょう」感想ブログです。宇宙奇譚のオマケくらいに思っていただけるとありがたいです。
yumeoibitonogaisen.hatenablog.com
根拠も証拠もありません。
10年前のお手紙
私はこの時ファンではありませんでした。
お手紙を書いている当時の環境や境遇は憶測でしかないので言えることは何も無いんですが、この2010年のお手紙、BGMが「夜空ノムコウ」なんです。
SMAPさんの言わずと知れた名曲、ですがこれは冬の星空を眺めながら自問するような曲で、無邪気に言葉を贈りあうゆごほくには少し不釣合いです。まだ芸能界に飛び込んで1年しか経っていないふたりに背負わせるには切なすぎる気がしました。
でもこの曲が選ばれた理由はきっとあるはずで。
こんな曲をBGMに選ぶほどふたりの環境は苛酷で「あれから 僕たちは 何かを信じてこれたかなぁ…」とたった1年前の自分に問うてしまうほど途方も無い日々を過ごしてきたのだと考えると、10年後のゆごほくが語る「ずっと一緒だった」がただの距離の話ではなく、もっとずっと深くて重いものだと改めて痛感させられます。
10年後の高地くん
柔らかく、暖かく、尖りのある口調をまぁるくまぁるく研磨してお手紙を読んだ高地くん。それがあまりにも優しくて、それだけこの瞬間、北斗くんには優しい感情しか伝わってほしくないように思えて涙が止まりませんでした。
「北斗へ」の口調は普段と変わりません。そのままでお手紙を読んでも、それが高地くんの普通なのですから北斗くんは穿った捉え方をすることはないでしょう。それなのに高地くんはあんなにまんまるにして言葉を贈る。「SixTONESの高地優吾」ではない「腐れ縁の高地優吾」の言葉のように感じてなりませんでした。
たとえステージの空気に飲まれているだけだとしても、穏やかに優しくお手紙を読んだことは確かです。
10年前のお手紙に触れ、そこに絡めて笑いを作った高地くん。
10年でこんなに変化した、という話ですが同時に「北斗は昔から変わらないね」という話でもあると思っています。昔からお洒落が好きで、昔から拘りが強くて、昔から、出会った頃から、北斗はずっと変わってないね。と語りかけているようなんです。
10年もの間何も変わらなかった、なんてことはありえません。
ファッションセンスもそうだし、心境だって変わります。無邪気に夢は語れなくなるし、弾ける若さを武器にしたアイドルにはもうどう足掻いたって戻れない。成長と言えば聞こえは良いですが、「大人になってしまった」と語る北斗くんは、やはり年を重ねて変化していく事に蟠りを残しているように思います。
でも高地くんは「昔を思い出すね」「昔の北斗みたいだね」と度々「昔と変わってないね」を発信するんです。10年という月日が流れているのに、未だ高地くんの目には14歳の北斗くんが重なって見える瞬間がある、と私は感じています。
今回のお手紙もまた然り。
北斗くんが変化せざるをえなかったのなら、その10年の年月を一緒に過ごした高地くんから「変わらないね」の言葉が贈られていたのなら、それが北斗くんにとって特別なものであるように願ってやみません。
決して平坦ではなかった10年を「乗り越えてきた僕らは昔より、何倍も何倍も強くなっていると思います。」の言葉にコクコクと首を縦に振る北斗くん。
今回のお手紙で高地くんは2度「僕ら」と口にしています。
ふたりの話をしたがらず、伝統あるコーナーに呼ばれてやっと「僕ら」の「色々な境遇」を話した高地くん。
辛い経験だけじゃなく楽しかった思い出も全部ひっくるめて、高地くんにとって「色々な境遇」は「話しても仕方無いもの」なんでしょう。悲痛な物語でもなければ煌く美談でもない。きっとSixTONESに出会う為の踏み台なんかでもない。
当時の自分や3人を非難する気も庇う気もなく、ただ辿ってきた事象を記憶のまま琥珀のように閉じ込めて、誰にも触れられない場所に仕舞い込む。当時の話を聞かれたら「今思えば」と現在の話に摩り替えて、北斗くんにですら知らん顔を貫く。
それが高地くんなりの、B.I.Shadowの、幸せの4枚の葉を歌う4人の守り方なのかもしれません。
笑いを交えながら優しく優しくお手紙を読み、最後に「北斗を頼りにしています」と添えてから可愛いキャッチコピーで締めた高地くん。その時にはもう、ステージにはSixTONESの笑顔担当・高地優吾しかいませんでした。
BGMの話
10年前は「夜空ノムコウ」でした。
余裕のないままリアタイしたっきり見返せていなかったので、今になってようやくBGMが10年前と違っていること、そのBGMが「らいおんハート」だということに気付きました。
聴いた事のない方はどうか聴いてください。
先に断っておきますがこれは「ゆごほくにぴったりの曲」というわけではありません。めちゃめちゃ純愛の恋愛ソングなので。ぴったりって言ったら色々可笑しくなるので。そこら辺は弁えてください。
純愛ソングなんです。砂糖のはちみつ漬けくらい甘い、愛しい彼女へのラブソング。
今までのきょもじぇコンビ、しんじゅりコンビはBGMがSMAPさんの「オレンジ」でした。この曲は「さよなら」を歌った失恋ソングですが、落ちサビにある「何よりふたりがここで共に過ごしてきたこの日々を 隣にいてくれたことを僕は忘れはしないだろう」という歌詞がジュニアの儚さを表していると感じることができます。
ゆごほくだって「オレンジ」でも構わなかったし、10年前と変わらず「夜空ノムコウ」でも素敵なBGMだったはずです。
でも10年後のゆごほくは「らいおんハート」を背にお手紙を読みました。
100%のラブソング。友情とも取れるなんて逃げ道の用意されていない真っ直ぐな愛の歌です。なんでこの曲が別にイチャイチャコンビでもないゆごほくのBGMに選ばれたのか。
私は「あきれるほどに そうさ そばにいてあげる」が理由だと思っています。
「あきれるほどに そうさ そばにいてあげる」
めっちゃゆごほくじゃない?
「俺にはお前が必要」は口が裂けても言わない。あくまで相手が傍にいてほしがっていて、自分はそれに乗っかっているだけでたまたま、偶然、仕方なく、みたいな素振りをするのに「あきれるほどに」、相手から邪険にされて嫌がられても「そばにいてあげる」んですよ。
その不満げな言葉や態度が真意じゃないと見透かして、見透かされて、だけどやっぱり「俺にはお前が」なんて事は言わない。
考えれば考えるほどゆごほく。
逆にここ以外ほぼガッツリ恋愛絡みの歌詞なので選曲理由が別にあったらとても困る。公式と解釈違い起こして死ぬ。
「らいおんハート」本当に聴いてほしいです。メロディだけで歌詞を思い出せるくらい聞き込んでからゆごほくお手紙を見てほしい。「あきれるほどに そうさ そばにいてあげる」をこんなに特別視してしまう理由が分かると思います。
偶然なんだけどね!!!!
ベストシーンを選べ言われたら私はここを選出します。
10年後の北斗くん
10年前と同じ「高地先生へ」からお手紙を読み出した北斗くん。エッセイ連載を持っているだけある、スッキリとしながらも茶目っ気を覗かせる文章が情緒溢れる声音に乗って届く、素敵なお手紙でした。
「10年前の今頃」。キラキラと光るステージに希望だけを見ていたあの頃。シンメである高地とこれからずっと一緒だと漠然と思っていたであろうあの頃。
グループという羽をもがれる前の、B.I.Shadow・高地優吾とB.I.Shadow・松村北斗だった10年前のあの日。そんな眩くて苦い「10年前の今頃」を、今度はそう簡単にもがれはしない翼を背負って変わらずふたりで振り返る事ができる。事実を並べただけの文章の裏に北斗くんの言葉にならない、したくない照れくさい思いが溢れてるように受け取りました。
昔のあだ名を使って笑いを誘った北斗くん。
10年という年月の中で、ふたりを取り巻く人や状況は随分変わりました。あだ名のような小さなものから、北斗くんが初めて世話を焼いた後輩だった高地くんが「リーダー」の肩書きを持つようになる大きなものまで、ふたりは沢山の変化を遂げてきました。
色々なものを得、失くしてきたはずです。
変わらないものの方が少ないでしょう。
「それでも変わらず」
それでも変わらず「隣に」
隣に「居続けた高地は」
厳密に言えば、高地くんは北斗くんの「隣」に居続けたわけではありません。バカレア期は達哲コンビだったしJr.の真ん中でほくじぇコンビとして歌声を響かせていました。
「隣」じゃない。 隣じゃないんです。B.I.Shadowのシンメは解消されました。変わってしまいました。「隣に居続けた」なんて、オタクが言ったらにわか確定です。
この言葉は全部、事実に基づいてはいない。
でも北斗くんにとってはきっとこれが正解。
言葉を練り、文章を編み、紙に綴り、自分の口から。これだけ段階を踏んで尚北斗くんはこの言葉を選びました。変更するタイミングなど山のようにあった。語彙力が豊富な北斗くんならば、高地くんとの関係に「変わらず隣に居続けた」という言葉が当てはまらない事くらい容易に理解できたはずなのに。
それなのに北斗くんは「変わらず隣に居続けた」と言ったんです。
ならば紛れもなく、高地がどこに居ようとも、北斗くんの「隣」にはいつだって高地が居たのでしょう。
高地くんが就任した「リーダー」はSixTONES内では「一番低い役職」でした。言い方もうちょいどうにかならん?というのは置いておいて。
緊張すると空回りしがちな高地くんへのSixTONESなりの配慮なのかな、と今は思っています。ひとりで気負う必要はない、無駄に気を張らなくていい、今のままでいいが言いたいんだろうな、と。
高地くんの顔を見ながらそう言って「つまり」と北斗くんは言葉を続けます。
「いじられ続けるでしょう」と口にした北斗くんの声は優しく、暖かく、照れくさいものでした。前文までのお茶目な声音を断ち切ってまで喉を揺らしたこの温もりには、北斗くんからの並々ならぬ思いが込められていると思っています。
これは「いじらせてください」という高地くんへの願望ではなく、北斗くんからの予言です。高地くんの意思はあまり関係ない、北斗くんが見ている未来の話。
北斗くんの見る未来には、変わらずにいじられて笑っている高地くんが映っている。それが現実となるかはまだ到底分からないけれど、そんな未来の為に高地はずっとずっと「変わらないでね」、というのがひとつ。
そしてどれだけ人や状況が変わろうと、俺は「変わらないから」も篭っているんじゃないかなというのがふたつめです。
北斗くん始めメンバーにとって「高地をいじる」というのは愛情表現の一種だと思っています。この考えが合っているのならば、「いじられ続けるでしょう」は「信頼し続ける」「ずっと構う」「見失わない」と言い換えられますし、
「変わらず隣に居続ける」
そう聞こえてなりませんでした。
高地がどこに居ようとも、これまでと変わらず。
きっとこれからも、ずっとずっと。
そして「俺と高地はこれからもきっと一緒にいる」のです。
最後に
違うようでいて、ふたりのお手紙はとても似通っています。
「10年前のあの日」から始まり、昔と今のギャップで笑いを取り、10年の年月を淡白ながらに情のある言葉で綴り、「あの日々を忘れはしない」とでも言いたげな台詞で文章を纏め、最後にいつもの自分で締める。
北斗くんが10年前の日々を「俺ら」と言ってしまうのも頷けてしまうほど、相談しながらわざとそう書いたのかと思うほど、ふたりが伝えたい言葉はそっくりでした。
ゆごほくは、今でもシンメなのかもしれません。
ゆごほくは「俺にはお前が必要」も「ずっと一緒にやっていこうな」も言いません。
ただ「ずっと一緒だった」という事実を述べるだけ。「一緒だと思う」と予想を立てるだけ。ふたりは決してゆごほくであることを芸能界を生き抜く為に必要だとは言いません。
それはつまりシンメ位置に立ってはいても、他のシンメのように手を繋ぎ目を合わせ、意思の疎通を図りはしないという事。
それなのに、滅多にないお手紙を読む機会でこんなにシンクロしてしまうなら、ふたりはどこにも負けない紛れもないシンメだと、お手紙を聴いて思いました。
「変わらず隣に居続けるだけのふたり」がゆごほくにとって最良のシンメ像なのだとしたら、これからもふたりは最高のシンメであり続けるのでしょう。